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そういう場合は、仕事に置き換えると分かりやすい。
こういうと「育児は仕事じゃない!楽しんでするものだ!」と反論される方もいるかも知れないが、
仕事人間の鈍い男性に納得してもらうには、この喩えが一番良いのである。
さて、「育児」という重要なプロジェクトがある。
プロジェクトリーダーは母親だ。
チーム構成員は母親以外に父親、祖父母、兄弟、そして臨時の助っ人として隣人等がいる。
父親はほとんどプロジェクトの実務には携わらないが、意思決定に重要な役割を果たしている。
ようするに、これが昔の家族像である。
こうした構成員で、プロジェクトは順調に進められていた。
ところが、プロジェクトが繰り返し進行するにつれ、人員が削減されていき、ついには、母親と父親しかいなくなってしまった。
核家族化の進行である。
通常ならば、人数が減れば、1人あたりの業務量は均等に増加するものである。
ところがこのプロジェクトでは父親の業務量は増加しない。他のプロジェクトにも参加しており、手が回らないのである。
必然的に、負担は母親に一気にのしかかる。
そもそも元々5人以上で行っていたものが、たった2人になり、しかも父親の分担が増えないとなれば、母親が潰れるのは明白である。
それだけではない。
既にプロジェクトに(楽な状況で)成功を収めた団塊の先輩達が、どんどんプレッシャーをかけてくるのである。
「これくらいのプロジェクトで何をもたもたしているんだ」
「何だ、この出来は。もっと真面目にやらんか!」
母親は保育園などのアウトソーシングも考えるが、社内での評判は良くない。何より故障(病気)のときは役に立たない。
その上コストが高いのである。
まさに孤立無援である。
こんな状態ではすぐにウツ状態になることは想像に難くない。
あるSEが、極限の労働環境でCドライブ全消去を実行しそうになった、という話を聞いたことがあるが、そういう心理は自分も理解できる。
要するに、児童虐待とはそういうことである。
児童虐待が起こる度に、マスコミは行政の介入が遅れたことを非難する記事を書き立てるが、これは無責任極まりない。
プロジェクト「育児」において、行政が措置などの介入を行うということは、
監査セクションの人間が上がりこんできて、
「残念ながらプロジェクトは失敗です。貴方では成果を出すことができない。後は我々に任せてお引取り願いたい」
そう母親に宣告することなのである。
劣悪な環境で、孤立無援で頑張ってきたのにも関らず、である。
貴方がもし母親の立場ならば、このようなことが受け入れられるであろうか。
言うまでもなく、母親に必要なのは行政の介入などではない。
休暇と補充人員と、そして何よりもねぎらいの言葉が必要なのである。









COMMENTS
デューク田中
#NkOZRVVI
2006/10/25 | URL | EDIT
社会保障の充実は行政の責務でありますが、過剰になることは不公平であるし、そもそも婚姻をはじめとする家族制度の崩壊を助長することにもなりかねません。
やっぱり難しい問題です。
現職公務員SE
#1tpQKjho
2006/10/27 | URL | EDIT
子育てってのは本来、普通に当たり前に行う行動なんですが、現代社会ではそれがまともに行えなくなっています。
しかし、時代の変化は巻き戻すことができません。
行政はどう関っていくのか…難しいですね。
ところで日ハムの株は買いましたか?(w