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昔の人の体力と精神力が現代人と比べて格別に勝っていたわけではないし、現代の赤子が昔に比べて育てにくくなったというわけでもない。
変わったのは子供を取り巻く環境である。
簡単にまとめると、
核家族化による育児の負担感の増大
女性の権利向上を主要因とした多様なライフスタイルや価値観の広まり
ということになる。
「そんなことは言われなくても分かっている」
という人に限って理解していない。
この問題は相当根深いのである。
現代社会を牽引して来たのは団塊の世代である。
しかし、団塊の世代の価値観と、今の子育て現役世代(いわゆる団塊ジュニア)との価値観は大きく異なる。
頭では分かっているつもりでも、新しい価値観やライフスタイルを受容するのは相当難しい。
「今どきの若者は」という言葉がいつの時代になっても無くならないのが、動かぬ証拠である。
「保育園に預けているの? 可哀想だねぇ」
「あら、お父さんがやっているの? だらしのない母親だねぇ」
年配の方々は、こうした何気ない言葉が少子化にますます拍車をかけていることを理解するべきである。
「現職君、子育てで大変だと思うが、課の状況も大変なんだ。もう少し奥さんにも協力してもらえないだろうか」
これはある市町村の管理職の言葉である。
失格である。0点である。
こんな発言をする人物が福祉行政セクションの管理者というのがそもそもおかしい。
もし自分に人事権があれば、こんな役職者は即刻配置換えである。
「病気のときぐらい母親が面倒を見るべきだ」
これはある市町村の長の言葉である。
最悪である。
トップがこんなメンタリティで、少子化対策が上手く行くはずが無い。
予算を組むだけ無駄、税金の無駄遣いである。
アメリカのADAを始めとした障害者施策は有名であるが、
特徴として、障害者福祉に関連する行政機関の要職を障害者自身が数多く占めているということがある。
日本の行政も、少なくとも少子化対策セクションに関しては現役子育て職員で固め、男性職員の育児休暇を義務づけるぐらいのことをしないと、実効性のある少子化対策施策など生まれてくるはずもないのだ。
さて、老人や団塊世代だけが問題かというとそうでもない。
若者も大いに問題である。
小さな子供を連れての外出は本当に大変である。
荷物も多くなれば、ベビーカー等も必要となる。行動は物理的にも時間的にも制約を受ける。
ところが外へ出てみれば、周囲の人間、特に若者は大抵非協力的である。
そればかりか「ちょっと、あれマジうざくねー?」といった暴言を浴びせる場面も見られる。
乳児の周辺で平気で喫煙をする者も見られる。
これは要するに子育て経験が無いから、理解が無いのである。
ところが、本来子育て経験者というのは親のみではない。
昔は5人兄弟が当たり前のように見られた。育児は母親のみならず、兄弟も参画した。たとえ末っ子であろうと、近くの子供の面倒を見たりする機会があったものである。
ところが、核家族化が進行し、実際に親にならなければ、子育ての大変さは理解できなかった。
子供が少ないから子育て経験者が少なくなり、理解が得られにくくなるという悪循環である。
ある意味罪が無い。
罪が無いから、余計始末に終えないのである。
多様性を受容すること、そして時代の変革を受け入れること。
少子化問題というのは様々な要因がある。
だが、どの問題を各論的に分析していっても、最終的にはこうした精神的な問題に帰結する。
要するに国民全体が、まず意識を変えなければ、絶対に解決しないということである。
そして、こうした考え方は、少子化対策のみならず、福祉施策全てにおいてあてはまるといえよう。









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