- 2007-0121 新・筆者的SNS考(1)-ROM行為の是非
さて、タイトルでいうROMというのは"Read only Memory"のことではない。
ネットスラングの"Read Only Member"、すなわち「掲示板などの双方向コミュニケーションの場で、読むだけで発言(記事投稿)を行わない利用者」のことだ。
応用として「半年ROMってろ!」(場の雰囲気をまずつかんでTPOをわきまえた投稿をしてください)という言葉もある。
このROMという行為は賛否両論がある。
発言というのはいわば情報提供にあたるわけだが、「情報を一方的に搾取するだけのメンバー」と酷評する意見もあれば、「情報価値が低い発言が増えるくらいならROMってくれた方が良い」と考える者も居る。
Webページの情報を閲覧するのは本を立ち読みするようなものだが、掲示板やチャット、メーリングリストなどを閲覧するのは他人の会話を聞くのに似ている。
耳をそばだてて人の話を盗み聞きするのは、現実社会では失礼な行為だが、ネット上では(完全ではないものの)他人に認知されずに容易に出来る。
情報は欲しいけど面倒はゴメンだ、というのは誰しも思うことだ。
言い方は悪いが、そういうことである。
一方、SNSについては、こうしたROMを減らしてコミュニケーションを促進する工夫がなされている。
足跡機能や友人機能(mixiのマイミク機能)などがそれだ。
「盗み見」や「盗み聞き」は相手に認知されない(と思える)から出来るのであって、明らかに相手が「その行為」を知ることができればそうもいかない。
知り合いとすれ違う際に会釈の1つも交わさなければ失礼にあたるのと同じだ。
その意味では現実社会に近く、人間関係に気疲れするのも現実と同じである。
そうした環境でもROMに徹する人は少なくない。
ユーザー参加があたりまえのWeb2.0の時代とはいえ、インターネットの利用者の目的の大半は、未だコミュニケーションではなく一方的な情報収集である。
良く2:8の法則といわれるが、掲示板などの非ROMとROMの比率もそんなものである。
そしてこれは筆者の運営するSNSにおいても例外ではない。
もちろん筆者も、閲覧したblogやWebフォーラムのすべてにコメントを残しているわけではない。
そして必ずしもROMは悪いことではないと、筆者は考える。
なぜならば、SNSや掲示板では、ROMでは得られないことが数多くあるからだ。
ROM否定論の根底は一方的な情報搾取による不公平感であるが、必ずしもROMは得ではない。その上で選択的にROMを行うのは各個人の自由というのが筆者の持論である。
ROMではそこに書かれている情報しか得ることができない。
しかし、フォーラムに参加すれば、自分の得たい情報を選択的に収集することができるわけだ。
「私の県では法規で悩んでます。法規を担当した経験のある職員がいません。皆さんの県ではどうやっていますか?」
こういう発言を行えば、それに対する反応が多く寄せられる。自分が知りたい解決策が得られる場合もあるだろう。
これは、毎日関連フォーラムを閲覧して、たまたま同じ話題が登場するのを待つより、はるかに簡単で確実な方法である。
そしてROMでは決して得られないものがある。
それはヴァーチャルのみならず現実世界でも貴重な財産となる、人脈だ。