- 2009-0831 政権交代とKKDと、
- 2009-0829 再起動
- 2009-0311 卒業式とその先のもの
- 2008-1016 後期高齢者医療制度は整備不良のバスで行うチキンレースである
- 2008-1004 こうですか?分かりません!
ソフトウェア開発などにおけるコスト管理(工数積算)の技法の中で、最もポピュラーで、最も一般に用いられている手法なのだが、
何のことはない、
「K:経験」と「K:カン」と「D:度胸」でエイヤ!と見積もる手法である。
(なお、コスト管理ではなくプロジェクトマネジメントに用いる場合は、「K:根性」「K:根性」「D:ド根性!」になったり、「K:火事場の」「K:クソ」「D:力」になるとか…)
このKKD法、致命的な欠点があって、90%以上の高確率で外れるということだ。
こう書くと、「何だ!このいい加減なのは!」と怒られそうだが、
地方自治体の開発現場ではこれがないと回らない。
それもそのはず、
地方自治体は、中央省庁がまだろくに資料(仕様ではない、資料である)すら出してこない状況で予算要求や契約を行わなければならないわけで、
まともな要求定義や工数積算など出来るはずがない。
ましてや、本稼動初日から制度名称が変わるという大仕様変更を皮切りとして、
1年に2度も3度も卒倒するような大仕様変更が発生するリスクを織り込めるはずもないのだ。
土台、無理なのである。
無理なのだが、地方の役人はとにかくそれらしい資料を作成して議会を納得させ、必要と思われる相当の予算を分捕らなければならない。
重要なのは、発注側と受注側が、双方、その積算内容に納得していることである。
受注側は想定できるリスクを織り込み、発注側にはその結果に対して財政当局や議会を納得させるだけの理由が無ければならない。
結果も重要だが、まずその「合意」がなければ何も進まない。
医療制度も全く同じである。
どの制度が一番良くて、どの世代からも支持を得られるか、など分かるはずもない。
重要なのは、なぜこうなるかということをとことん国民に説明し、支持までは行かなくとも十分に説得力のある制度に仕上げることであろう。
後期高齢者医療は結局のところ、ここのプロセスが軽視されていた。
「10年議論した」「パブリックコメントも募った」とは言えど、
その中身は厚生労働省のTOPから4クリックも5クリックもしなければたどり着けないところにあり、
パブコメにいたっては、GoogleやYahooのクローラーがやってきたときにはもう募集期間が過ぎているという始末。
現場の地方役人は罵声を浴びながらも「将来の、貴方達のお孫さんの世代のためにも、この制度が必要なんです!」と真摯に説明してきたが、
それも制度開始直後からころころ改変され、説得力のかけらも無くなった。
今後、政権与党となる民主党のマニュフェストには以下の一文がある。
21.後期高齢者医療制度を廃止し、国民皆保険を守る
【政策目的】
○年齢で差別する制度を廃止して、医療制度に対する国民の信頼を高める。
○医療保険制度の一元的運用を通じて、国民皆保険制度を守る。
【具体策】
○後期高齢者医療制度・関連法は廃止する。廃止に伴う国民健康保険の負担増は国が支援する。
○被用者保険と国民健康保険を段階的に統合し、将来、地域保険として一元的運用を図る。
【所要額】
8500億円程度
方向性の是非や優劣はここで語るべき内容ではないが、調整に難航しそうであることは容易に想像が付く。
願わくは、少なくとも2年以上かけてじっくり議論し、国民にその結果を浸透させてほしい。
勝手ながら、SNS内で投稿された、現場担当者のナマの声をいくつか紹介させていただこう。
「確固たる政権を構築して欲しい。別に特定政党に肩入れしているわけじゃなく、政策がブレたら余計な金がかかるから」
「『単に借金だけが増えた!』ということにだけはならないでほしい」
「8500億?最低でも1兆は必要だろ。しかも、抜本的改革が完了するまで毎年公費投入、本当にできるのかね?」
「8月にさかのぼって、一部負担割合を全員1割にするとか、保険料で10割軽減をつくるとか、やりそうだな。とりあえず国民の目に見える結果が欲しいだろうし」
「どうせ名前変更するだけだろ」
自分はもう部外者であるから、前の記事にも書いたとおり生暖かく見守るだけだが、
ともあれ、「K:後期高齢」「K:変えてみたけど」「D:ダメでした」とはならないようにしてもらいたいものだ。
仕事の内容は、昨年度までと比べて大幅に違うともいえるし、大差ないともいえる。
簡単に言えば、業務内容が上流工程から超上流工程に変わったというべきか。
とはいえ、昔も今も電算屋には変わらない。
(後期高齢者医療などの)個別の事業に縛られなくなっただけである。
仕事量は明らかに減った。
暇という言葉が適切かどうかは分からないが、
とりあえず4月からまだ徹夜業務は1回もないし、24時越えも4~5回ぐらいしかない。
昨年と比べれば、はるかにマシであることは言うまでもない。
それでも、最近まではそこそこ忙しかったのだが、
後任者からの電話がかかってこなくなってからは、明らかに余裕ができた。
年次更新も大きな問題なくスムーズにいったようだ。
まずはめでたい。
とはいえ、後期高齢者医療制度も明日の選挙でどうなるか分からない。
制度の終焉を最後まで見届けることができなかったのはやや残念であるが、
自分の業務も無縁では済まされない。少なからず波及する。
とりあえず一歩引いた位置から、この「IT史上最悪のプロジェクト」の行く末を、生暖かく見守ろうと思う。
早いもので、平成18年の夏から広域連合の立ち上げに携わった、いわばSNS一期生はもう3年目だ。
そろそろ世代交代の時期である。
初期のころ、ブログにコメントを書いていただいた方、
メールフォームから意見を投稿していただいた方、
資料と情報集めに奔走していただいた方、
SNS内に積極的に投稿し、大いに盛り上げていただいた方、
ヴァーチャルのつながりから始まった関係が、
いまや顔を突き合わせて、ブログ論や電算担当者論で時の経つのも忘れて語り合うほどになっている。
通常の生活をしていれば、近隣の役所の職員ですら知り合う機会はほとんどなかろうが、
幸か不幸か、この後期高齢者医療制度に携わったために、自分は非常に多くの、遠方の友人を得ることとなった。
とても不可思議な事である。
思い返せば、長かったのか短かったのか。
一年目は闇の中を手探りで進むようであった。
情報が枯渇し、五里霧中の中でわずかながらの明かりを灯そうと右往左往した。
二年目は檻の中で鎖につながれているようであった。
為さねばならぬことが山積していき、それを解く手がかりは全く与えられず、時間のみが悪戯に過ぎていった。
三年目は多くは語るまい。
制度開始に間に合わせるために奔走した先駆者たちは、泥棒や人殺し呼ばわりされ、全国で多くの担当者が心の病で舞台から去った。
毎日のように何か攻撃ネタはないかと、ニヤニヤうすら笑いを浮かべながら周囲を徘徊していた連中は、忘れたくても忘れられないが、
我々を散々なぶりものにしてくれた彼らが、いまや経済的に危機的状況らしい。
詳細については割愛するが、
公務員や医者や、その他顧客となりうる様々な業界を(一部捏造ややらせも織り交ぜて)散々たたき続ければ、購買層がいなくなるのは当たり前であるし、
日本はダメだ最悪だ、といい続ければ、景気が悪くなって企業が落とす広告費が減るのも目に見えている。
そして時代の変革から目を背け、「若者の活字離れが悪い」と自らの企業努力を放棄していれば、滅び行くのは中学生でも分かる話である。
噂によれば、今年の夏ぐらいに、まず変(この部分自粛)らしい。
まさに自業自得、溜飲が下がる思いではあるが、
彼らの凋落は旧世代、古い価値観の終焉を象徴するものであろう。
ある意味、後期高齢者医療制度には旧世代の矛盾が集約され、限界を露呈したともいえるが、
その屋代骨、インフラ部分を整備し支えてきたのはSNS会員の多くを占める団塊ジュニアの世代である。
受験戦争や能力主義を強いられ、雇用確保の犠牲となり、価値観は完膚なきまでに破壊否定され、そして福祉という名のもとに搾取され続け、
団塊世代とその上の世代から、凄惨なまでに虐待されつづけられている(現在進行形)我々、団塊ジュニアの世代である。
悲観しているわけではない。むしろ逆。
お気楽、無責任、右肩上がりの社会を安穏と謳歌してきた脆弱な世代とは、根本的に鍛え方がちがうのである。
この制度に関わってしまったがために、我々はボコボコにされたが、
そんなのものは慣れっこである。
我々の世代は生きながらに皆ボコボコであり、雑草のような生命力、うたれづよさを持っている。
しかも彼らは、各市町村の代表として、地方公共団体の立ち上げという、
一般人はおろか公務員であってもほとんど携わる機会のない偉業を成し遂げた面々である。
故郷に帰った後もその貴重な経験を活かし、どんな苦境も乗り越え、将来要職に付き、
いずれまた行政の大きな変革時に、より大きな表舞台で再びめぐり合うであろう事を確信する。
この縁、まさに値千金―
後期高齢者医療制度を卒業する彼らの前途に幸あらんことを。
さて、自分の卒業はいつかとなげき、団塊世代の上司に小突かれながら、黙々と書類の作成に勤しむのである。
“誤って天引き” 2万4000人 28道府県(47NEWS)(魚拓)
後期高齢者医療制度:高額療養費の返還中止 算定ミス続出で(毎日.jp)
舛添大臣は記者会見でこれらをケアレスミスと評したらしいが、もし本気でそう思っているであればもはや救いようがない。
これらは決して単なるケアレスミスではない。
起きて当たり前。構造的な問題、欠陥である。
思い起こして欲しいが、よく似た仕組みの介護保険が導入された際、これほどまでにミスが多発したであろうか?
そして介護保険導入当時に比べ、自治体職員や委託業者の質が格段に下がったのであろうか?
もちろんそんなことはない。
介護保険と後期高齢者医療制度の大きな違いはただ1つ、準備期間だけである。
介護保険は法律制定(平成9年12月)から施行(平成12年4月)まで2年4か月の準備期間があり、しかも保険料徴収については更に6か月間の猶予があった。
対して後期高齢者医療制度は法律制定(平成18年6月)から施行(平成20年4月)まで1年10か月と介護保険より準備期間が半年短く、広域連合の立ち上げとインフラ整備という余分な仕事があり、かつ(全員ではないが)制度開始直後から保険料徴収を行なわなければならない。
その差は明白である。
なおかつ、介護保険の場合は(要介護認定等一部の部分を除き)電算システムを各自治体で個別に開発している。つまり当初から各自治体の個別事情にあわせたシステムを作成できた。
ところが、後期高齢者医療制度はご存知のとおり主要な電算システム(標準システム)を国が国保中央会に委託して一括開発している。
この手法が必ずしも悪いとは言わないが、成果物はお世辞にも各自治体の個別事情に柔軟に対応できているとは言えず(特に政令市には全く対応していない)、各広域連合や市町村は「足りない部分」を独自開発する必要がある。
しかも、標準システムの根幹仕様は公開されていない。
各広域や自治体は「足りない部分の開発」のために、ブラックボックスの標準システムをリバースエンジニアリングしたり、開発元に粘り強く交渉して仕様を聞きださなければならない。
つまりもともと、システム開発に非常に時間がかかる構造になっているのだ。
(加えて、「足りない部分の開発」を一度済ませば終わりではなく、標準システムの仕様変更がある都度、検証作業や仕様変更を強いられる。そして標準システムの仕様変更はまだ当分なくならない)
そして、平成20年4月からの無茶苦茶な軌道修正、プレスリリースから広報を済ませて施行まで2~3か月という無茶苦茶な開発が乱発されたのは、皆さんが良くご存知のとおりである。
読者の方々には釈迦に説法かもしれないが、準備期間が短いと開発現場に深刻な悪影響が出る。
どんなに発破をかけても、人が考える時間やプログラムを打ち込む時間というのは早くならない。
良くないと分かりつつも、本来必要である他の時間を徐々に削っていかざるを得なくなる。
いわゆるデスマーチである。
まず最初に無くなるのは担当者の余暇時間である。
土日祭日出勤、毎日午前2時まで労働、1週間に1度帰宅できれば良いほうといった生活が常態化する。
もちろん、こんな状態が良いはずも無い。
心身の疲労から作業効率が落ち、ケアレスミスが誘発されやすくなる。
次に無くなるのはドキュメントである。
成果物の検収文書やQA、障害発生時の処理表、そうしたものが「時間が無いから電話で済ませて、文書は後で作成しましょう」ということになる。
ユーザ向けのマニュアルなどは真っ先に犠牲になり、国開発の標準システムにおいても「モノは送られてきたけれども、マニュアルが無いぞ。どうすればいいんだ?」ということがあったのは記憶に新しい。
山場での一時的な応急処置であればまだしも、そうした状態が長期間続けばプロジェクト管理に深刻な影響が出るのは言うまでもない。
これにより、開発漏れやリリース漏れ、処理漏れといったミスが多発するようになるし、マニュアルの整備が遅れれば現場運用での入力ミスが多発する。
それでも時間が足りないとなれば、検証やテストのための時間が削られる。
もう納期に間に合わせて実装するのが最優先で、品質は二の次となる。
典型的なのは、開発方が大ポカをやらかした後のパッチプログラム(例えば誤って更新されたDBを復旧するためのSQL)で、これはもう半分以上の確率で間違っていると思ってよい。
必要なテストが簡略化あるいは全く行なわれていないのだから、ミスが激増するのは当たり前だ。
そして末期になると、セキュリティに関する運用にモラルハザードが生ずる。
操作手順の短縮のために大きなバックドアを開けたり、必要な暗号化が施されなくなったりするわけだ。
恐ろしいことだが、個人情報が暗号化もされず、平文のままでインターネットを経由してEメール送信などということも平然と行なわれるようになる。
この段階になればもはや単なる事務処理ミスでは済まされない。
リスクが顕在化すれば、それは国家や地方自治体全体の大きな信用失墜となる。
自分は先日このブログ上で、読者の一定量を占めるであろうIT企業社員向けにあるアンケートを行なった。
この結果やコメントは、こうした後期高齢者医療制度のシステム開発現場の問題点を率直に反映しているといえるだろう。
【アンケート】国(から委託を受けた社団法人)が後期高齢者医療制度の後継制度の「標準システム」開発業者を募集しており、貴方の会社に参加資格があり、貴方がその決定権を持っているとします。入札しますか?
上記アンケートのコメント
大臣はなにかとこの制度についてバスに喩えているが、
現在の後期高齢者医療制度は、準備不足のため整備不良でしかも無茶なルート変更のため法定速度をはるかに超えたスピードで走ることを強いられるバスである。
そしてそんなバスが1800台以上もいれば、事故が起きて当たり前、むしろ起きないのが幸運だったと思わなければならない。
それを大臣は「運転手が下手クソなんだ」といって、全く問題点を認識しようとしないのである。
制度の良し悪し、つまり乗り心地や快適性云々以前に、こんな危険なバスに乗りたいと思う高齢者がいるはずもない。
自分は過去の記事で、確定賦課や高額療養費に関するミスの多発を予言したが、残念ながらそれは現実のものとなった。
そして悲しいかな、1月から施行される新たな負担見直しについても、ミスとは無縁ではいられないだろう。
自分の激しい思い込みだが「高額介護合算療養費」は一度も支給されないまま制度が終了すると思えてならない。
この予想は是非とも外れて欲しいと祈っているが、そのためにはまず制度ではなく、大臣の頭の中を改革する必要があるだろう。
【追記】
まあ十分予想できていたことだが、世間一般の受け止め方はこのような感じである。↓
後期高齢者医療制度 最大625万人の天引き開始(ハズレ社会人)
またもやミスかよ!厚生労働省1万8000人から医療保険料誤徴収(充電式ぶろぐ)
つくづく、モチベーションを保つのが困難な業務だ。
(記者)
後期高齢者医療制度の関係ですが、大臣が改革したいというお気持ちはよく分かるのですが、なぜ福田内閣ではそのような改革という見直しができなかったのか、柔軟性がなかったのかについてお聞かせいただけますか。
(大臣)
それは、福田内閣の下で、法律があり、これは実施するというのが行政の仕事ですからそれをやっていく。(中略)しかし、今申し上げたように、大きな国民の不満が残っているような制度はやはり改善しないといけないです。その良いチャンスですから、政権が変わりますから。そういうことで私は決断をしたということです。
平成20年9月30日大臣記者会見(厚生労働省)
(記者)
先ほどの県民健康保険と言うお考え方なのですが、それは大臣の私案なのか、それとも役所が今後目指す新しい制度の案なのでしょうか。
(大臣)
それは大臣の私案です。私の政治的リーダシップで行って、私の責任で行っているということです。(中略)役所は関係ありません。役所は大臣がこうしてこれをやるからやれと言ったら、それにしたがって動くのが役人の仕事でしょ。(中略)だから、大臣の案か役所の案か。役所の案はありません、大臣の案以外はない。それがまともな民主主義だと思います。
「トップ変わっても、変えてはいけないものがある」―舛添厚労相(キャリアブレインニュース)
厚労相は次のように答えた。
「政権交代があろうと、『こういう形』と決めたものは継続してもらわないといけない。(中略)逆に言うと、トップがどう変わろうと、国民の命を守るためには、役人は駄目な大臣が来たら体を張ってでも対抗するような心意気もないといけない。その側面を出していくのも厚労省改革だと思う。(以下略)」
えーと、もはや何をいっているか分かりませんが、
とりあえず、
小泉内閣(川崎大臣)のときに「こういう形と決めたもの」を「俺の案が民主主義だ!」と叫んでころころ変えようとしている「駄目な大臣」のどうしようもない口を、厚労官僚が体を張ってふさぐのが、国民の命を守ることに直結する。
と解釈すれば意味が通じるような気がしてきました。